淀の陽だまり  第3回  赤目四十八滝


 7月27日(日)大阪なんば8:00発の特急券ひのとり乗車、大和八木まではひのとりで29分、近鉄のひのとり日本の私鉄特急のなかでも特別の存在で赤黒のスマートなフォルムとゆったりした車内の空間は何度でも乗車したくなります。八木から赤目口まで普通に乗り換え、9:10分のバスに乗り継いで赤目滝へ行きます。 入口で1000円の入域料を払いオオサンショウウオのいる水族館を見ていよいよ滝の散策道を歩きます。歩いてすぐに行者滝に到着。近くに赤目の牛の銅像があり赤目の由来が書かれていて、それによると古く飛鳥奈良時代に「役の小角」がこの地で修業の際に不動明王が牛に乗って現れ、その牛の目が赤かったので赤目と名付けられたようです、江戸時代に藤堂藩二代目高次の眼病を癒し藤堂藩【津と伊賀上野を藩領とした】の保護を受けていたようです。 続いて不動滝、千手滝と赤目五瀑がつづきます【赤目五瀑とは、不動、千手、布曳、荷担、琵琶の5滝を指します】他にも、乙女滝、陰陽滝、笄滝、雛壇滝など様々な形状の滝が連なり終点の岩窟滝までの2時間余りのハイキングは全く飽くことがありませ。両岸に切り立った崖が聳え、鬱蒼とした木々の緑、水の流れは岩の間を抜けて融通無碍、自然の奏でるシンフォニーには感嘆します。漢詩風に言うと 渓のせせらぎは夏光を浴びて緑水となり,渓の岩に止どまるギンヤンマを見てしばしの夏に憩う  とにかく涼しくてマイナスイオンたっぷりと素晴らしい渓谷美でした。(特に布曳滝と荷担滝は美しかったです。)

上左:四十八滝入口 上右:不動滝 中左:千手滝 中右:布曳滝 下左:荷担滝 下右:琵琶滝


曽爾村で思う事

 岩窟滝からほとんどのハイカーは来た道を戻りますが、今回私はさらに川を遡って出合まで行き山道を1時間ほど越えて落合という青蓮寺川の流域に出ました。㊟このルートはあまり人が通らないようで注意が必要  正連寺川を遡ると奈良県曾爾村に出ます。ここはまさしく淀川の最上流域にあたり俱留尊山、曾爾高原、鎧岳、屏風岩など近畿最奥の美しい山々が連なる山村です。なんでも曾爾村は「日本で最も美しい村」連合にも加盟しているとか、この村を夏の炎天下日中2時間半ほど歩いて最上部の村の小学校まで歩きましたが、歩いていて若者が働く場がほとんどないことに気付きます。村の郵便局と役場、学校くらいが職場としてある位でほとんどの方が米作りか村の外へ働きに行っている感じです。

 途中「オユニポス」というレストインに入り休憩しましたがそれまでにスーパーもコンビニもなく小さな食料品店が一軒あるくらいでした。カフェは若い女性二人が切り盛りしていましたが彼女らの話ではチョットした買い物にも名張まで出かけるようで車で30分ほどかかります、高原の観光といっても一部のかなり限定的な感じで村が自立してやっていくのはとても困難に感じました。

 人口は現在1200人位で西暦2000年には2400人ほどいた村民も25年で半減していますからあと10年程でほとんどの村民が流出するのではないでしょうか? このような美しい山村を維持できる方策を国なり県は真剣に考えるべきでしょう。地方創生とか少子化対策といった掛け声、場当たり的予算のバラマキのやり方ではもうダメです。特に近時の気候変動もあるので思い切って夏の間だけ県庁の一部を移転するとか、大学や高校の夏季期限を移動するとか、民間の良質な研究機関や開発機関を夏季だけ誘致するとか思い切った政策でこの美しい山村を次世代/次々世代まで存続させることが日本の今後の行きし方と直結しているように思われてなりません。新幹線や高速道路、高層ビルで埋めつくされた日本なのか/美しい自然の風景が残る日本なのか政治家だけでなく日本人誰しも責任を持っていると思います。

 上左:子太郎岩キャンプ場 上右:曾爾村と曾爾高原 下左:鎧岳 下右:屛風岩

 


 奈良県にはもっとすごい村もありまして、野迫川村(のせがわむら)は、人口330人程、離島を除いた日本で最も小さい自治体です。高野山の裏手にあって私は数年前に一度行ったことがあり、こんな所に村があるのかと思うくらい人がいない山又山の隔絶した地域です。調べてみると、奈良県には村が12村もあって、大阪府が千早赤阪村1村、京都府が南山城村1そん、和歌山県が北山村1村で、滋賀県と兵庫県はゼロですから、いかに多いかが分かります。平成の大合併でほとんどの村が消滅したわけで、村の村長さんというポストは今や絶滅職種といえます。

 ただ日本は広く上には上があって、北海道と福島県には15村、長野県には35も村があるようです。