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淀の陽だまり  第5回

 10月から始まった朝ドラ「ばけばけ」が好評のようですが、その中でヘブン先生はよくジゴク ジゴクと言って当初、松江での生活に驚きと少しの恐怖をもってわめく場面がありましたが、この世に対してあの世があり、あの世には地獄という恐ろしい世界と極楽(西洋では天国)という麗しい世界があると信じられて来たことは洋の東西を問わないようです。(ドラマではヘブン先生は天国のことをスバラシイと言って表現していました)日本ではこのような世界観/宗教観は平安時代中頃の浄土思想の中から明確になってきたようです。

 最近読んだ長谷川宏氏の『日本精神史(上)』〈講談社学術文庫〉によりますと仏教を信仰するという事は一つには仏像に向き合い仏像を敬うという行為、他には仏典の一字一句を丁寧にたどり教義の内容を理解解釈する行為、あるいは悟りに至る修行に真摯に取り組むなどの点が挙げられると思いますが、

 6世紀に仏教が朝鮮半島から日本に伝わった当初、日本人は造仏・造寺という形で仏教を受容し、天平仏にみられるような高度の芸術性精神性を表現するまでに至りましたが、仏教の思想、理論、実践という点では随分遅れていたという事です。(6.7世紀の時代に漢籍の仏典を読み解く手段も能力も未だ未熟で致し方ないのですが、)その面での発展は8世紀の奈良時代の南都での学僧の研鑽の中で9世紀初頭の最澄と空海の登場まで待たなければなりませんでした。〈仏教の伝来ら 300年近くかかりました〉

 二人は日本の仏教史の二大双璧でして日本の仏教を思想の面でも実践の面でも大きく高みにまで引き上げた事は周知のことです。ただ、この二人はあまりに天才すぎるといいますか、この世での悟りを開くための山修山学であり、空海のいうところの超自然の呪力の獲得や即身成仏であったのでその思想と実践は平安時代の庶民とは隔離していたと言わざるを得ません。


  10世紀、平安時代の中頃になりますと解脱・涅槃という点でなく救済という仏教のもう一方の側面がクローズアップされてきます。長谷川氏の表現によると浄土思想とはイメージの宗教思想だそうで、

 天台宗の僧、源信の「往生要集」ではまず地獄の様子が子細に描写され人々に地獄の阿鼻叫喚の責め苦を明からさまにイメージさせ、次に極楽浄土の妙音・妙香・妙味な世界が観無量寿経などの仏典から引用されて人々に浄土への憧れを増長させました。そして往生要集という書名からも、どうしたら極楽に往生できるのかの手引書のようなもので、中心となる方法は「正修念仏」にあるというのです。まさに仏を念じること、仏を観想する(イメージする)事が極楽への方法という事です。

 当時末法思想の広がりもあり上は天皇・藤原氏から庶民に至るまで救済/往生極楽を求める人々に爆発的に広がっていきました。この後法然・親鸞により、念仏をより易行として"南無阿弥陀仏”と唱えるだけで(観想、観仏でなくても)良いとして浄土宗・浄土真宗へと繋がっていきます。

 人々は浄土世界を想い、死に際しては阿弥陀仏に迎えられて西方極楽浄土に導かれる事を願ったのです。この浄土思想を表現する(イメージする)建築と彫刻、庭園が阿弥陀堂と阿弥陀如来像であり浄土庭園で、これらが揃って現存し今日の私たちがその空間の中にたたずみ身を置く事ができる貴重な場所が平等院と浄瑠璃寺でして、特に九体阿弥陀如来坐像が現存するのは日本で浄瑠璃寺だけなのです。

 宇治平等院鳳凰堂

 

藤原頼通が天寿元年(1053年)に建立、本尊の阿弥陀如来坐像は高さ2m80㎝に及び阿弥陀堂として建てられましたが

翼廊を広げた均整な姿、朱塗りの優美な姿は他に類例のない建築で鳳凰堂として親しまれてきました。

 宇治川

                                   

寿永3年(1184年)1月、木曾義仲と源義経がここで戦い、平家物語で名高い、〈宇治川の先陣争い〉の場面が思われます。鎌倉方の梶原源太景季と佐々木四郎高綱が馬ごと宇治川に乗り入れ先陣を争ったとか… 川には中洲があり優美な十三重の石塔なども建っています。

 

 

 11月23日(土)三連休の初日、京阪電車で宇治駅に向かいました。宇治の町は流石に外国人の方の方が多く天気も良く、紅葉の彩りも鮮やかです。駅を出てすぐの宇治橋のたもとに「通園茶園」というお茶屋があります、なにせ宇治茶の地ですから多くの茶問屋、茶屋が立ち並んでいますがここは平安時代末から続く店だそうです。時代感覚がわからなくなりますが、足利義政や秀吉、武蔵も立ち寄ったとか、

これは是非とも一服しようと入ろうとすると、多くの人が順番待ちで1時間ほどかかりそうでしたので

仕方なく抹茶ソフトをテイクアウトで頂きました。続いて宇治上神社に参拝し宇治川を渡って平等院に向かいます。

 宇治川の流れが速く上流の方は山並みが続き、まさに山々の間から勢い良く流れ出るといった感じです、水の流れしかもさざ波だつ流れというものがこれほど何か心をとらえ魅了するものだとは…普段淀川の名のごとく淀んだ水のあまり流れのない淀川と比べこの急流のせせらぎ、しかも大河でとうとうと川が流れ下る様は、「方丈記」の行く川の流れは絶えずしてどころではない、そんなゆったりとした無常観ではなくもっと激しく人間や自然の生命力を感じさせる流れでした。

 平等院への参道は茶店、レストラン、カフェが立ち並び楽しいものです、入域料 700円を払い表門から入りますといきなり鳳凰堂の左翼廊が目に入ってきます、池の周りを左手に進んでゆくと徐々に翼を広げたような形の鳳凰堂の全景が広がりまるで池の上に翼を広げて浮かぶ鳳凰の如くであります。

 外国人は十円玉といっしょに鳳凰堂と記念写真を撮っていました。そのまま正面を回り込むように進みますと鳳翔館というミュージアムがあり、ここに展示されている「雲中供養菩薩」や屋根を飾った一対の「鳳凰像」、高さ2m近くの「梵鐘」などはいずれも平安時代のもので国宝中の国宝と言っていいものばかりです。特に様々なポーズや表情をみせる26体の雲中菩薩は一体一体見ごたえが有りました。


 JRの宇治駅から13:54 発のみやこ路快速奈良行きに乗り木津で加茂行きに乗り換えてJRの加茂駅に出ました。ここからバスで浄瑠璃寺まで2系統出ていて、お寺に直接行くコミュニティバスの当尾線とJR奈良駅西口行の奈良バスで浄瑠璃寺口の停留所まで行きそこから20分ほど歩くルートがあります。丁度

コミュニティバスがあったので運賃 400円を払い浄瑠璃寺には午後3時過ぎに入ることができました。

 秋の日は短く西に傾く夕日が池に映え又、木々の間から差し込む光が東側に立つ朱色の三重塔を赤々と照らし深まる秋を感じさせます。

 阿弥陀堂に入りますとまず四天王の持国天,増長天が迎えてくれます、そして薄暗いお堂の中少し黒ずんだ金銅仏の阿弥陀如来様が九体ズシリと並んで座しておられます。こんな真近かで見ていいのかというほどでガラス戸で囲まれもせずお堂の中で平安の世と変わらずゆったりと座して印を結ばれているお姿は場の静謐な空気感と相まって感動が込み上がってきました。中央の阿弥陀如来坐像中尊はとくに一回り大きく丈六仏で来迎印という印で人々を救っておられるようです。

 帰りは20分ほど歩いて山を下り奈良バスで奈良の町の方に出て帰宅しました。

 浄瑠璃寺阿弥陀堂

 

寺伝によると1107年に九体阿弥陀堂が建てられたようです。瓦葺きは江戸時代とか、一体一体の如来がそれぞれ板塀を持ち堂全体が九体の阿弥陀如来の厨子として造られている横に長い建築。堂内には他にも人気の高い吉祥天女立像〈年3回の開扉〉

不動明王像、矜羯羅、制多迦童子像なども安置されています。

 

 

 浄瑠璃寺三重塔 

 

治承2年(1178年)に京都一条大宮から移築されたものでこちらも貴重な国宝建造物、池を挟んで阿弥陀堂と向かい合い東側の少し階段を上がった高台に建っています。こちらは薬師如来が安置され東方瑠璃世界を表します。

 

㊟今回の特に仏教史の流れと浄土思想の形成の部分に関しましては、長谷川宏さんの本に依拠した部分が多々あります