· 

淀の陽だまり 第8回

 兵庫県はほぼ完全に淀川水系には入りませんが、梅の名所を探してみると``海の見える梅林‘‘ ``ひと目二万本‘‘などのキャッチコピーが気になり地図で確認、山陽電鉄の網干駅に近くさらに近くに室津という歴史上名高い港町もあり、ならばと2月24日午前8時10分発の山陽電鉄直通特急姫路行きの電車に乗り込みます。淀川でなく揖保川(いぼがわ)、夢前川(ゆめさきがわ)といった美しい名の河川の瀬戸内海にそそぐ河口付近になります。


 大阪の人間にとって神戸は三宮・元町・神戸駅附近(ハーバーランド)まではイメージできますがそこから先阪急電車や阪神電車がどうなっているのか今一つわかっていない所があります。(高速神戸とか山陽電鉄とか神戸電鉄がどこをどう走っているのかわからない?)幸いにも阪神電車と山陽電鉄は相互乗り入れもあって、阪神梅田駅から直通で姫路まで乗り換えなしで行けます。阪急だとどこかで乗り換えが必要? 実は山陽電鉄の姫路行き直通特急は初めてでして、よこに一人掛け、二人掛けのクロスシートになっていて外観、シート等若干古さを感じますが、一人掛け座席を占領した私はチョットした小旅行気分で梅田を後にします。

 だいたい明石まではJR線と並行した感じで進みますが明石を過ぎますとJRはやや内陸の方を走り、山陽電車はずっと海に近く沿岸部を走り途中、古の古歌にも歌われていそうな(実際歌の名所と思います)尾上の松、高砂、白浜の宮などの駅を過ぎてゆきまして、飾磨で途中下車、乗り換えて山陽網干に10時15分到着しました。2時間ほど乗って1350円は安い!

 

綾部山梅林

 観梅期間の土日祝日は山陽網干駅から綾部山梅林まで臨時のバスが出ていますが、時間が合わず梅林まで5㎞ほどの道を歩いて行きました。途中揖保川の橋を三つ渡ります。国道 250号を左に折れて梅林に近づきますが山肌はほのかに梅の花をちらつかせる程度で少し不安が高まります。入口の駐車場を抜け山道を少し上がると入園ゲートがあり、 500円の入園券を買って入ります。舗装された坂道をゆっくり登って行きますと見上げる梅林はまだほとんどが蕾のままで、むなしく枝木を青空に伸ばすがままでした。今年もハズシテしまった感がいっぱいです。全体で3分咲き位でしょうか、梅の木が山の北向き東向き斜面に広がり海側の南側でない事も原因でしょう。

 全体に地元の花見客が多いようで、ペットの散歩ついでにのんびり休日を過ごす方が多く見られました、それでも山腹の簡易レストランでは琴の演奏をしていたり猿回しの実演を披露する旅芸人の若い女性がいたりで、春の訪れを間近に感ずることができました。

道の駅 みつ

 山を下りて今度は「道の駅みつ」に向かいます。国道 250号はツーリングのバイクも多くライダーたちの多くもこの道の駅で休憩をとっていまして、休日とあって大勢の人でレストランも売店も野外の屋台もいっぱいでした。茹で牡蠣なども販売していましたが、唐揚げマヨ丼だけ注文して昼食。

 ココは屋上のテラスから播磨灘の風景を一望でき、家島、小豆島も望めますし階段で下の浜まで下りて渚をブラブラできたりと、皆さん思い思いに休日を楽しんでおられました。

室津

 日本の歴史の中には、歴史上大いに栄えたけれども時代の変化とともに衰微していった町など多くあると思いますが、室津という湊も古代から近世、江戸時代まで瀬戸内海航路の主要な港として日本史の中に大きな足跡を残しました。

 すでに奈良時代の播磨風土記に「この泊、風を防ぐこと室の如し」ということで波穏やかな瀬戸内海の中でもとりわけ船が停泊するのに絶好の湊だったようです。

 江戸時代になりますと、西回り航路の廻船問屋が集まり、又西国大名の参勤交代の航路の寄港地として最多時には6軒の本陣を構えていたそうです。他にも朝鮮通信使や長崎のオランダ商館の一行が江戸に参府する時にも必ずといって室津に船を入れています。

 ヒト・モノ・カネや情報が集まる一大交通ターミナルだったわけで、こうなりますと前回の近松ではないですが遊郭も軒を連ね、井原西鶴の「好色五人女」の中でここ室津を舞台に清十郎とお夏の物語が伝わっています。話の内容は割愛しますが清十郎は実在の人物でその生家跡の碑が室津に建っていました。

 


 また、昭和5年文豪谷崎潤一郎は、朝日新聞の夕刊に「乱菊物語」という小説を連載しました。未完に終わったようですが、私は今回Amazonで中公文庫版を古本で取り寄せ読んでみましたが、非常に面白かったです。舞台は応仁の乱後の戦国時代初期の室津を中心とした播磨地方で、室津の遊郭の上臈

かげろうという美女を巡って播磨の太守である赤松上総介と今では赤松家を凌ぐ威勢を誇る執権、浦上掃部助が、積年の政治上の抗争の上に女性を巡って互いに一歩も引かず、何とか先方を出し抜きかげろう御前の気を引こうと画策します。それに海龍王と名乗る謎の人物や幻阿彌という幻術使いの僧、あるいは家島諸島の海賊どもが絡んできて、話が少し脱線しがちな所もありますが、主従のやりとりや敵同士の上総介と掃部助との腹に一物を持ちながらのやり取りにニンマリとしてしまうのです。続編が書かれなかったのは大変残念です。

 戦国時代、播磨では、守護赤松氏に替わって小寺氏や黒田氏、そして羽柴秀吉(織田氏)と続き。

備前では、守護赤松氏に替わって浦上氏、宇喜多氏、そして羽柴秀吉(織田氏)と移って行き西からは大毛利が触手を伸ばすといった感じです。〈天正10年、備中高松城の水攻め〉

 

 

 室津は、現在では本当に静かな漁村といった感じです。夕食をとる所もまるよしという寿司屋が一軒あるくらいでした。食料品店の店主に聞くと、町にある室津小学校も児童が少なくなって隣りの御津小学校に通っているようです。ただ町はカキの養殖が盛んで、インドネシアやベトナムの若い人達が住み込みの漁労従事者として 100人位働いていると言っていました。

 岬の高台にそれは見事な加茂神社が建っていました。当日見るまで知りませんでしたが、横に五棟の社殿が並び、まさに京都の上賀茂神社や宮島の厳島神社に比肩するような豪華で華麗な神社です。

往年の瀬戸内の女王であった事を如実に物語る素晴らしい歴史的建造物でした。

 毎年四月に京の葵祭に倣って(京都は五月ですが)小五月祭りというのが今でも行われているそうです。谷崎の乱菊物語にも室町末のこの祭礼の賑やかな様子が描かれています。